物をつくる趣味に対しての理解。

投稿者: | 2019年11月1日

趣味で公私関係なくても「作品を作る」という場合は、周りの家族や友人、知人が物をつくる趣味に対する理解があるかどうかで人間関係が決まってしまうなぁと考えます・・・。

趣味に理解があるかないかで人間関係に亀裂が入ったり、絵でも模型でも音楽といったような作品を作る人に対して、物を作ったことがない人というのはそれらに対して軽く考えたり捨てても大丈夫と軽く考えている感じです。

「また同じものが作ることができるからいいだろう」、「どうせいつかゴミになるんだろう」と思われている場合もあっただろうなと、自分の昔を振り返りますね・・・。

自分の場合に例えれば、学生の頃の趣味は漫画や日記や小説といった書き物系だったのですが、それらは自分にとっては想像力の成果と思っていたとしても家族から見れば「しょうもないもの」と決めつけられて捨てられるという危険があったのでした。

幸い自分には自分専用の机があったのでそれらの物は親に捨てられるということにはならなかったのですが、「いるかいらないか」は結果的に自分が決める感じでしょうね。

他の人に勝手に捨てられるというのは我慢ならないと思いますね。

「学校の美術などの授業で物を作ったことがあったから分かる」と言われても、学校の授業で作る作品と自分の勝手で作る作品とでは創作に対する熱意やらモチベーションが違うわけなので作品を作る人の気持ちが分かるわけでない気がします・・・。

なので作品を作る大変さは自分のやる気を起こして頑張ってやったことがある人しか分からないのではないか?と思います。

量産されているものならば捨てられても、なくしてもお金があればまた買えるのというものでもないので作品のオリジナリティーがあるものはその当時にしか生み出せないものですよ。
なのでまた同じ作品を作るということは難しいものもあります。

一例として、当時学生の頃に描いた趣味の漫画を捨てられたり無くした場合、作り手である自分であったとしても「それと全く同じように描けるでしょ?」と言われたとしたもそれはその時にしか描けなかったから無理ですしか言えない。
コピーがあれば別ですが、それがない状態で描くというものなら記憶力を絞り出して描けても二度と同じものになりません。

それがオリジナリティーだろうなと思いますけども・・・・・。

変な話、もしも恋人や伴侶が「物を作ることが趣味の人に理解がない」人だったらその人との人間関係はとりあえず終了になりますね(笑)。

価値観や理解が足りないのでおそらく何かあってからも一緒にいるというのは多分無理ではないかな?と自分勝手に想像します。

過去に自分の趣味を話したら全く受け入れたもらえなかった人もいましたからね。

そういう人は私という人物像を一方的に作り上げていて、理想と違かったら許せないとか、全力で見なかったことにしたい考えの人です。
なので漫画を描く趣味を辞めさせようとしたのだろうと思いましたね・・・・。

その相手の趣味がスポーツやスポーツ観戦だったので、多分趣味を合わせてもらいたかったのでしょうかね?
さすがに趣味を否定してきた相手に対して合わせるのは正直我慢ならなかったことや、今後も趣味を否定されたことが頭をよぎることになるわけなのでその人と関わるというのは厳しいものでした・・・・。

個人的には相手にも趣味を合わせてほしい訳でもない、単純に「自分のこの趣味を知っておいてほしい」という感じなのですがね。

自分の場合は趣味を相手にも強要することはしませんから、強要する人は頭がおかしいです(←言い切り!)

趣味に集中してそうな時は察してほしいだけですし、一人でなんか作っている時はそっとしてほしい、邪魔はしないでくれ・・・という気持ちですよね・・・・。




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