自分の学生の頃「卒業したらどうしたいですか?」と学校でどこまで聞かれたのか?と思い出そうとしても忘れたので思い出せないのですが、我が子達は「将来何になりたいか?」「どのような人になりたいか?」などと学校から聞かれたりしがちなのです。
自分の思い出としては小学一年生の頃の学級文集で「将来のなりたい職業」を書く欄があったのですが、無難である「花屋さんの店員」と書いていましたし・・・。
こういうことはどうしても周りの反応を気にするので「立派な将来の夢(目標)」を書けばよいのやら、笑われたりがっかりさせても構わないから「本心の夢(目標)」を書けばよいのかと困りますが、なぜ将来の夢を人前で公表しなくてはならないのか疑問しかないえす
我が子も周りにはとりあえずの夢や目標を言っておきながら本心は違うことを目指しているのかも知れないでしょう・・・。
目標を持つことは否定しないけど、困るのが学校の先生に夢や目標を周りに発表しなければはならないという流れ・・・。
教えたくない人のことも少しは考えてほしいものですが・・・。
実家の母親が「あんたは漫画家になるって言っていたなぁ」と昔話のような会話になり、自分の本心では最も話題にしてほしくはない話(いわば地雷)だなぁと嫌な気分になり、そして母親は「なると言っても売れる漫画家ならいいんだけど」と言ってきたのですが、「自分はそんなことを親に言うような人だったのか?」と変な気持ちになりましたね・・・。
・・・・・当時の自分の漫画を描いているイメージが強かったのか「漫画家になりたいのか?」と思わせる所があったのでしょうが、少しカチンときたのが「売れる漫画家ならいいけど」という言葉でしたね(う~ん、分かるけど釈然としない)。
結果、その目標は実現してなくても漫画みたいな絵は趣味でも描けるし、毎日の楽しみの一つって感じで良いんではないの?と割り切っているのですが、壮大な夢や目標が大きすぎると確かに自分の力不足や運のなさを憎むので目標や夢をあきらめきれないせいで苦しんでいる人もいるわけだから、何でもかんでも「夢や目標を持て!」と簡単に言わない方が良いと思いました・・・。
考え方によるけど、夢や目標を諦められないから何でもできなくなるし視野も狭くなることだってあるので、夢や目標がない人の方が視野も広められるし柔軟にあれこれ挑戦できるんだから良いんじゃないのか?と感じます。