クリエイターの表現は色々あるから面白い訳で・・・。

投稿者: | 2019年3月1日

たまにインターネットでイラストについて何らかの検索をするとTwitterユーザーの間では、特定のイラストの画風等に対してごく一部の声の大きなネット民の批判合戦を発見し、読んでいくと「なんかよくわからないけどすごいなぁ」と思ってしまう自分。

「暇なのかなぁ??」と感心するくらいしつこい批判をしたり、よそのネット民に批判の拡散を促している様子といった感じ。
擁護する側も白熱しているのでしばらく読んでいると「こんなもん読んでいると時間が無駄だ」と正気にならなければいつまでも読んでしまう羽目に(笑)。

しかし、イラストや絵を描く人の他の趣味はネットサーフィンだという人が多そうなので話題も広がるのでしょうかね??

エゴサーチによって自分の批判を見つけてしまうのか・・・・。

しかし、そんな批判されているクリエイターの作品を初めて発見できるというメリット(??)もあるわけです。




漫画風なイラストを趣味で書いている自分なのですが、漫画やイラストを描いているからと言っても話題がある作品を読んだり見たりしているわけではないので「趣味が漫画やイラストを描いているからこの作品やイラストレーターくらい知っていて当然だろう」という前提でこちらに話をされても自分は「知らなかったり興味がない」、もしくは「描くだけが好きで他の作品は見ないよ」というかんじです。

個人がどのクリエイターが好みだろうが嫌いだろうがどうでもいいことであって、個人の好みや嫌悪を当たり前のように一般論のように思いこむとか、個人の意見を他人にも同調させるというのはどうなのかな?とモヤモヤするのですよね・・・・。

それと作品に対してどこかの評論家っぽい人が「この作品はこうである」と堂々と断言して説明するのも個人的にはダメだなと思ってしまいます。

作品に対してどう感じようがどう思おうが、作品を見たその人自身が思うことなので、作品を説明するということは意味がないし個人の感性を邪魔しているだけだと思うので評論家みたいに誰かの作品に対して「これはこうだからこうであってああであってこの作品になったのだ」という断言が苦手です・・・・。

作品を描いた本人を尻目に、自分以外の人が一方的に作品を決めつけるような説明をされると怒りが湧きそうに思うのですがどうなのでしょうか・・・・・??

自分の場合はイラストを描く時はノリの積み重ねで描いてできたようなものなので、そんな偶然の産物に対して勝手に誰かが説明するとなれば自分は戸惑うかも知れません(笑)。

そんなクリエイター系の仕事や趣味をする人に必要なものはスルー能力なのかと思います、多分。

好いてもらえたらラッキーであって、嫌われたら好みではなかったというだけ、と考えれば良いのではないかな?

自分が好きでクリエイター系の趣味や仕事をしているのだから批判に対して相手にせずにスルーして批判や悪意すらも考え方によっては「創作の元になる」と批判を自分の餌にしてしまうような精神力がないとだめだよなぁと自分は思います。

自分はぬくぬくと一人で趣味の範疇で漫画絵を描いているからそのような前向きなことを書けるのだろうけれど、自分の絵を見てくれた人に対しては「こんな絵なんか見せてすみません」と自分の絵は求められていないことを前提とした腰の低い気持ちをもっていたいものです・・・。
よくぞ見つけたと思いながらも「いや、この人は間違ってこの絵を見てしまったのだろう」とひたすら自分を批判していますからね・・・・。

他人に批判される前に、自分が自分に対して批判してますし、自分の同じ絵ばかり見ていると飽きるし描き方も同じで面白くないので自分の描いてきた絵に違った要素を上書きしたい気持ちになります。

考え方が偏ってしまうということは想像力もなくなるのかと思いますし、満足したら絵なんか描く必要ないですから自分がきっと満足したら趣味はきっと辞めると思いますね。




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