2024年早々、震災が起きたことで自分の震災当時のことを思い出す

投稿者: | 2024年1月2日

新年早々、北陸で地震が起きてしまったので遠方に暮らす自分も被災経験があるので心が落ち込む。

自分も被災したことがあるので色々考えると結局のところ必ず災害に遭わない安心な場所というのはない気がする。

2011年の震災当時、被災している場所こそ停電でニュースも見ることができないのでガラケーのワンセグで情報を見ていた記憶がある。
しかしながらケータイを使うたびに充電もなくなるので情報も見ることが難しい・・・。
SNSで誰かが被災地に何かを呼びかけても意味がないし自己満足で終わるだけ。

家が壊れてしまえばもうそこは家ではないと同然だと思うし、泥棒が自宅のテレビを盗んでいったが、他の家は高めのバックを盗まれたりタンス預金を盗まれたりと散々な話を聞いた。

自分にとっては命があることは大事で、テレビや家具や家電は量産品だから買えばいい話だが、その人を現す思い出の物や何かの限定品を盗まれることに怒りが湧く。

2011年の震災で当時住んでいた自宅は自分らの世帯の部屋があった2階は物が残っていたので被災していない実家や身内の家に荷物を分散させて保管させてもらった。

仮設住宅に住む時にそれらの荷物を全部入れることができないので、自分の親が気を使って壊れた家にあった子どもの学習机とか大きすぎる新品同様のヒーターなどを持ち出したが結果的に仮設住宅に置けないので邪魔になるだけだった・・・。

わが家は津波で全壊状態だったのでかろうじて2階は残っていても肝心な1階が津波でえぐれていたのでその場所では再建できない状態だったので仮設住宅から別の住む場所を探すことが大変だった・・・。

被災した場所には住めないので空き地のままで周りの人たちも同じ場所に家を再建せずにいる状態で建築可能だと言われても結局土地をかさ上げしたりする必要があるのでさらにお金もかかる。

津波の被災した歴史がある場所だったのでそこに住んでしまった我が家族が被災したという感じで、さすがにそのような場所だと分かっていながらその場所に再び家を再建するか??となるとその場所が非常に空き地だらけの寂しい場所で、安全を考えると津波や大雨や台風での雨や川の氾濫の心配もあるのでその場所に住むことを諦めるしかなかったわけ。

被災した時に実家や身内の家に居候するのもお互い非常に気を遣うし、同じ地域でも被災している人としていない人の考えが違うし生活の仕方も違うのでそこで疲労してしまうので大変だ。

避難所には避難者の人を登録(??)すれば以前住んでいた郵便物も届けられた。
避難所は共同生活であるが、働いている人はむしろ常に避難所にいなくてもいいから気晴らしになるかもわからないが専業主婦や高齢者のような人は知り合いや親しい近所の人が避難所にいないと孤独感や鬱になっていきそうである。
自分は実家に避難できたから良いが、避難所にいたら心身のバランスを崩してしまったと思う。

子供がいる家族も避難所で暮らすことが厳しい気がする。

被災して住む家がなくなると家が大きいとか小さいとかよりも、いかに住んでいてストレスがかからない家か?住みやすい場所か?といろいろと真面目に考えてしまいがち。
「どうせ壊れるなら家を持つ意味あるの??」という考えにもなった。
家があることで人生を縛られるのも嫌だなと考えたりと、結局は家を違う場所に建てたのですが自分はとても偏屈な考えになってしまった。

いろいろと個人的に長い思い出話になったしいつもと文面が違くなってしまったけど、被災した方々、どうかご自愛くださいとしか言えない。

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